2011年に発表された門田匡陽のソロ名義における1stアルバム「Nobody Knows My Name」は、関連プロジェクトで唯一サブスク配信されていない(ただしダウンロード販売はされている)スタジオ録音作であり、ファンのなかで評価が分かれることもあり、BURGER NUDSやGood Dog Happy Men(以下GDHM)のファンでもなかなか辿りつきづらい作品だと思う。先日、まさにそのように感じた知人から、とっかかりとしてどのような作品なのか知りたいと質問されたのだけど、自分でもうまく背景が整理できておらず、なかなか一言では言い表せなかった。個人的には、このアルバムは「もう新しくバンドを始めることができないという事実と向き合うためのアルバム」だと考えているのだけど、その説明がうまくできるか自信が無いので、ちょっと冗長になりそうながらもブログを書いてみることとした。なお、人名は敬称を省略している。また、BURGER NUDS とGDHMについて一定の理解があるとして書く。
まず、リリース前後の流れを整理してみようと思う。かなり戻ることになるが、GDHMが休止に至るまで遡った上でその後の流れを確認したい。
Good Dog Happy Menは、2007年から始まったGOLDENBELLCITYプロジェクトを2008年のライブにて幕を下ろした後、次の制作を順調に行なっているように見えた。しかし、伊藤が予定的に不参加になるライブなどすれ違いがつづいてしまい、2009年4月に韮沢と伊藤が脱退。しかし翌月5月にはその逆境をものともせず、二人体制になって初のシングル「陽だまりを超えて」、さらに8月には2作目のシングル「Born Again」を発売した。
夏フェスで初披露された「Born Again」は、“広く受け入れられる”ことを意図した、彼らの今までのスタンスとは大きく異なる挑戦的な楽曲だった。しかしその意図や自信とは裏腹に、チャートの反応は振るわず挫折を味わうこととなる。
さらに追い討ちとなってしまうように、「Born Again」発表後2009年9月ごろ、内田が脱退を決意することとなる。
門田はGDHM結成時、「一生続ける」「今後ほかのバンドを組むことはない」とまで語っていた。その言葉のとおり、門田の生活の中心にはずっとGDHMと音楽があったのに対し、内田はこれ以上その生活を続けられなかった。そう内田から伝えられてからの1年間が、人生で一番辛かったと門田は語る。内田は、遡れば中学生時代から20年以上にわたり共に活動してきた、門田にとって最も長く音楽でコミュニケーションしてきた友人である。門田にとって内田やGDHMメンバーとバンドを続けられないということは、自身のキャリアにおいて将来にわたってもうバンド自体を組むことはないということとイコールだった。だが、それでも門田は音楽を生活の中心に起き続けることはやめなかった。
こうした背景があったため、同時期に制作にとりかかったアルバム「The Light」について、門田は「GDHMをやり始めた頃の4人に対するレクイエムのつもりで作った」と後年語っている。
2010年1月に「The Light」がリリースされ、2月開催のリリースツアー後は行われたものの、そのあとに「門田匡陽 with His Funny Friends」名義のワンマンライブが開催され、バーガーナッズ時代の曲が披露された時点で、ファンも状況を察していたと思う。6月に内田の脱退が発表され、GDHMは活動休止した。
GDHM休止直後の2010年中旬にはtearbridge(avex)からインディーズのBARBATE ROCKへ事務所を移籍。元GDHMサポートメンバー2人を中心とした編成で、3か月に一度のペースでワンマンライブを開催し、その合間に弾き語りなどソロ出演を行う活動形態へと移行した。
そして、いくつかのライブを経て、2011年2月に制作を開始し、同年6月、つまりGDHM休止からわずか1年でリリースされたのが「Nobody Knows My Name」だった。
ここまでがリリース前の流れ。続いてリリース後を整理してみる。
アルバムのリリース後は、ワンマンライブの開催とap bank fes前夜祭に出演など引き続き精力的に活動。翌年2012年は自主企画を3本実施したあと、6月からバーガーおよびGDHMの楽曲を、ライブサポートメンバーとともにセルフカバーするプロジェクト(同年12月リリース予定)を開始した。
セルフカバーに着手した理由としては、直近のライブでBURGER NUDSやGDHMの曲をいくつか取り上げていたことと、震災が関係していたという。「『Nobody Knows My Name』(...)をリリースする直前に震災があったんですけど(...)僕自身今自分がどこにいるのかを定めないといけなかったので、自分が通ってきた足跡を今の自分で奏でてみたいと思ったんです。そしてそれを、僕とは違う価値観の人がどう見るのかなとも思って。」
しかし、セルフカバープロジェクトは録音結果にどうしても納得がいかず、企画は破棄される。「わざわざもう1回掘り起こして、もう1回埋葬するような作業に思えてしまったんだよね。何故かって言ったらば、その時のコンセプトはなるべくオリジナルに忠実にやって、今の門田が歌うとどうなるか?っていうコンセプトだったから」。
SNSには複数回のスタジオ録音まで進んでいたことも投稿されていたため、相応の制作費や関係者が関わっていたこともあり、ストレスなどが原因で持病が悪化、体調不良でライブを2本キャンセルすることとなってしまう。
しかし、休養を経て2012年11月、突如ソロ名義のサポートドラマーであった水野とのユニット「I Will Say Good Bye」名義の初ライブを実施。同名義で計3回のライブを行い、ひさびさに意欲的な姿を公にあらわしファンを安堵させた。
2013年3月、ニューヨークを訪れ、滞在先のカフェバーのオープンマイクで弾き語りを行ったらしく、日本語詞で歌ったにもかかわらず好意的な反応を得た体験も大きな刺激になったようで、2013年4月、本名ではなくPoet-type.Mという名前で活動を開始した。このあとは比較的ウェブでもアクセスしやすい情報が増えるだろう。
以上が今作の背景である。次に、作品そのものに焦点を当てる
おさらいになるが、アルバム制作は、初めて意図した商業的な挑戦の挫折と、GDHMメンバー/内田との別離という、バーガーナッズなどそれまでの音楽活動において味わったものよりも数段重要性の高いネガティブなイベントがあった後である。にも関わらず、音楽活動としてのブランクは全く開けずライブと制作を始め、わずか1年後に完成させたアルバムとなった。たしかにソロアルバムには元GDHMメンバー・サポートメンバーが参加しているものの、門田はシンセなど
GDHMで表現しなかった「孤独感」にフォーカスしているのが「埋立地」「Dear my teacher」「ドーナツ」である。門田いわく、この3曲がまず自然に生まれ、アルバムの核になっているという。GDHMの他のメンバーには孤独感がなく、それがバンドの良さでもあった。そのため門田が出せなかった音楽性でもあった。一方で、バーガーにはその要素があったとも考えられる。
バーガーは当時の演奏技術、GDHMは「孤独感を表現できない」というある種の音楽的ハーネスの中で、表現可能なものを突き詰めた存在だったとするなら、今作はハーネスのない状態の門田匡陽が作った音楽と言える。そこに良くも悪くも明確な特徴がある。
本人も、内田の脱退によって音楽に全力で向き合う中での「リミッター」が外れ、コンセプトというくびきから解放された結果、多様な楽曲が並ぶアルバムになったと語っている。そもそもソロで活動すること自体を想定していなかったため、自身がもともと影響を受けてきた音楽をそのまま表現する形になった。Poet-type.M以前には、「1枚作ってはっきりわかった。やはり自分はバンドの人間だ」と語っている。
音楽的影響として挙げられているのは、60sフォークロック、80sニューウェーブ/AOR、00sインディ/インディフォーク周辺である。
GDHMが、バンドメンバーの楽しんでいる場にリスナーが参加する構造だったのに対し、ソロは門田とリスナーが1対1で向き合う形になる。これは、以降PtMのテーマでも現れる「君は独り 絶対独りで無敵さ」にも繋がるだろう。制作モチベーションである、世界がよりよく見えるフィルターのような音楽を作ることという考えも、PtMで「帰る場所のない美しさの翻訳」という言葉で反復されることとになる。
アルバムタイトルは、「このジャケットを手に取る前のあなたは、まだ門田匡陽ひとりで作られた音楽を知らない」という意味合いで、決して悲観的なものではない。一貫して景色を描く手法は変わらないが、ライナーでは共有を目的にした音楽への懐疑も綴られており、その姿勢とも連動している。