門田匡陽さんの「Nobody Knows My Name」(2011年)は、いまだ門田匡陽関連プロジェクトで唯一サブスク配信されていない(ただしダウンロード販売はされている)スタジオ録音作であり、ファンのなかで評価が分かれることもあり、バンドのファンでもなかなか辿りつきづらい作品だと思う。先日、まさにそのように感じた知人から、どのような作品なのか質問をされたのだけど、自分でもうまく背景が整理できておらず、なかなか一言では言い表せなかったために、ちょっと冗長になりそうながらもブログを書いてみることとした。なお、以下は敬称を省略する
まず、リリース前後の流れを整理してみようと思う。かなり戻ることになるが、GDHMが休止に至るまで遡った上で流れを確認したい。
GDHMは、2009年4月に韮沢と伊藤が脱退。翌月5月には早々に二人体制になって初のシングル「陽だまりを超えて」、さらに8月には2作目のシングル「Born Again」が発売される。夏フェスで初披露された「Born Again」は、それまでとは大きく異なる“広く受け入れられる”ことを意図した楽曲だった。しかしその意図や自信とは裏腹にチャートの反応は振るわず、広く受け入れられることに対する挫折を味わったと、後年のインタビューでも振り返っている。
そうして「Born Again」発表直後から制作に取りかかっていた「The Light」(2010年1月発売)は、すでに内田の脱退が決まった状態で作られた作品だった。2010年2月開催のリリースツアー後、ソロワンマンライブが開催されたことと、バーガーナッズ時代の曲が披露された時点で、ファンも状況を察していたと思う。6月に内田の脱退が発表され、GDHMは活動休止した。
門田はGDHM結成時、「一生続ける」「今後ほかのバンドを組むことはない」とまで語っていた。その言葉のとおり門田の生活の中心にはずっと音楽があったのに対し、内田はこれ以上その生活を続けられなかった。そう内田から伝えられてからの1年間が、人生で一番辛かったと門田は語っている。内田と門田は、高校時代にsweet girlsを結成して以来、16年以上にわたり共に活動してきた関係にある。The Lightを「GDHMをやり始めた頃の4人に対するレクイエムのつもりで作った」という方針は「陽だまり」の延長ではあるが、門田にとってはGDHMメンバーの3人とバンドを続けられないということは、自身のキャリアにおいてバンド自体をもう組むことはないかもしれない出来事だった。それでも、門田は音楽を止めなかったのは、本当に音楽が中心にあることの証左だと思う。
その後、2010年中旬にはtearbridge(avex)からインディーズのBARBATE ROCKへ事務所を移籍。元GDHMサポートメンバー2人を中心とした編成で、3か月に一度のペースでワンマンライブを開催し、その合間に弾き語りなどソロ出演を行う活動形態へ移行した。これらの活動を経て、2011年2月に制作を開始し、同年6月、GDHM休止からわずか1年でリリースされたのが「Nobody Knows My Name」だった。
ここまでがリリース前の流れ。続いてリリース後を整理してみる。
リリース後も精力的にライブ活動を行い、7月にはワンマンライブとap bank fes前夜祭に出演。翌年は自主企画を3本実施した。直近のライブでBURGER NUDSやGDHMの曲をいくつか取り上げていたことと、「『Nobody Knows My Name』(...)をリリースする直前に震災があったんですけど(...)僕自身今自分がどこにいるのかを定めないといけなかったので、自分が通ってきた足跡を今の自分で奏でてみたいと思ったんです。そしてそれを、僕とは違う価値観の人がどう見るのかなとも思って。」という理由で、2012年6月からバーガーおよびGDHMの楽曲を、ライブサポートメンバーとともにセルフカバーするプロジェクト(同年12月リリース予定)を開始する。
しかし、セルフカバーの内容に納得がいかず、企画は破棄される。「わざわざもう1回掘り起こして、もう1回埋葬するような作業に思えてしまったんだよね。何故かって言ったらば、その時のコンセプトはなるべくオリジナルに忠実にやって、今の門田が歌うとどうなるか?っていうコンセプトだったから」。スタジオ録音まで進んでいたことから、相応の制作費や関係者が関わっていたはずだが、これらのストレスなどが原因で、持病が悪化し体調不良でライブをキャンセルすることとなってしまう。
休養を経て2012年11月、ソロ名義のサポートドラマーであった水野とのユニット「I Will Say Good Bye」名義の初ライブを実施。同名義で計3回のライブを行い、ひさびさに意欲的な姿を公にあらわした。2013年3月、ニューヨークを訪れ、滞在先のカフェバーのオープンマイクで弾き語りを行った。日本語詞で歌ったにもかかわらず好意的な反応を得たこの体験は大きな刺激になったようで、2013年4月からついにPoet-type.Mとしてソロ活動を開始した。
以上が今作の背景である。
<ここから推敲中>
次に、作品そのものに焦点を当てる
GDHMで表現しなかった「孤独感」にフォーカスしているのが「埋立地」「Dear my teacher」「ドーナツ」である。門田いわく、この3曲がまず自然に生まれ、アルバムの核になっているという。GDHMの他のメンバーには孤独感がなく、それがバンドの良さでもあった。そのため門田が出せなかった音楽性でもあった。一方で、バーガーにはその要素があったとも考えられる。
バーガーは当時の演奏技術、GDHMは「孤独感を表現できない」というある種の音楽的ハーネスの中で、表現可能なものを突き詰めた存在だったとするなら、今作はハーネスのない状態の門田匡陽が作った音楽と言える。そこに良くも悪くも明確な特徴がある。
本人も、内田の脱退によって音楽に全力で向き合う中での「リミッター」が外れ、コンセプトというくびきから解放された結果、多様な楽曲が並ぶアルバムになったと語っている。そもそもソロで活動すること自体を想定していなかったため、自身がもともと影響を受けてきた音楽をそのまま表現する形になった。Poet-type.M以前には、「1枚作ってはっきりわかった。やはり自分はバンドの人間だ」と語っている。
音楽的影響として挙げられているのは、60sフォークロック、80sニューウェーブ/AOR、00sインディ/インディフォーク周辺である。
GDHMが、バンドメンバーの楽しんでいる場にリスナーが参加する構造だったのに対し、ソロは門田とリスナーが1対1で向き合う形になる。これは、以降PtMのテーマでも現れる「君は独り 絶対独りで無敵さ」にも繋がるだろう。制作モチベーションである、世界がよりよく見えるフィルターのような音楽を作ることという考えも、PtMで「帰る場所のない美しさの翻訳」という言葉で反復されることとになる。
アルバムタイトルは、「このジャケットを手に取る前のあなたは、まだ門田匡陽ひとりで作られた音楽を知らない」という意味合いで、決して悲観的なものではない。一貫して景色を描く手法は変わらないが、ライナーでは共有を目的にした音楽への懐疑も綴られており、その姿勢とも連動している。